西暦と和暦の狭間で

書類で日付を書くところがある時、和暦で書いていいのか西暦で書いていいのか分からないことないですか?

例えば「平成21」って書くには狭いから「2009」って書こうかと思ったけど、「H21」って書くと短くて済むな……とか。あれって、基本的に西暦で書くべきとか、そういう暗黙のルール的なものあるの?

「明治・大正・昭和・平成」こういう選択肢とか、和暦の表記がない限り西暦でいいのかな?

自らの過去振り返ってみると、和暦で書いてる事の方が多い気がするんですけど、今考えてみると西暦の方がいいのかなという気がしています。

和暦って分かりにくいですよね。明治が何年までで、大正は何年とか。いちいち覚えてられないし、西暦だと何年かってのもよく分からんし。

だから、今後は基本西暦で、和暦はあくまでオプションとして捉えていきたいなと思っとります。

置いといて

6月30日(米国時間)に『米国科学アカデミー紀要』(PNAS)に発表された論文によると、主語(S)、動詞(V)、目的語(O)の順に文章が構成される(例えば「Bill eats cake(ビルが、食べる、ケーキを)」)SVO型言語を話す人であっても、身ぶり手ぶりでコミュニケーションを取るよう求めると、主語、目的語、動詞の順番で意志を伝えたという。

主語、目的語、動詞の語順にしたのは意思の伝達をスムーズにしようとしたためであるどうかをテストするために、被験者は、イラスト入りの透明シートを複数与えられ、順番に意味はないと説明された。それぞれのイラストはある場面の一部を描いたもので、すべてのシートを重ねると、重ねる順番に関係なく同じ絵になる。それでも被験者は、目的語を動詞の前に置いた。

んー。非常に面白い。

初めて英語を教わった時に感じた違和感は、本能的なものだったってことですかね。やっぱ日本語みたいなSOV型の方が自然ですもんね。

Goldin-Meadow氏の研究チームは、40人の被験者(SVO型である英語、中国標準語、スペイン語を母国語とする被験者各10人と、SOV型であるトルコ語を母国語とする被験者10人)に、「少女がノブを回す」といった一連の単純な行為を身振り手振りで表すよう求めた。

その結果、母国語に関係なく、ほとんどすべての被験者が、主語(少女が)、目的語(ノブを)、動詞(回す)の順に身振り手振りを行なった。

「置いといて」とかも万国共通なんですかね。今度は「置いといて」が必要になるようなお題でジェスチャー対決して欲しいですね。

矢印のカタチ

会議の資料とか、セミナー行った時に貰う資料とかで、よくこういう矢印が使われてるでしょ。

これ大嫌いなんですよ。何でこんな潰すの? 普通にすりゃいいじゃん。

絶対こっちの方がカッコいい。

ああいうのって大概PowerPointで作ってるんでしょ。私PowerPoint使ったことないんで分からないんですけど、普通の矢印って出来ないの? 潰す意味分かんない。たまに潰しすぎて矢印だか何だか分からなくなってるのもあるし。

これはもう最悪ですね。お前は普段矢印がこんな風に見えてるのかと。

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いやいや、もっと長い。長いよ。あんた視覚おかしいよ。

こうい矢印書く人は、一体何を考えるんですかね。どういう育ち方したんでしょうか。お小遣い、いくら貰ってたんでしょうか。晩ご飯は何時くらいに食べてたんでしょうか。お姉さんは綺麗なんでしょうか? 寝るときはノーブラでしょうか。そしてノーパンでしょうか。いや、パンツは穿いてた方が逆に興奮…、おっと、矢印がハッキリしないせいで話がそれました。

オーイ山田君。座布団を1枚くれたまえ。

それでも僕は打ち間違う

ブラインドタッチはできないけど、ある程度慣れてるから、キーボードをじっくり見るわけでもなく、我流のポジションで何となく見たり見なかったりしながら適当に打つ。

そういう人って結構いると思うんですよ。ま、私がそうなんですけど、しょっちゅうやる間違え方ってのありません?自分の打ち癖とでもいうような。

私は「~です」って打つとき、速く打つとしょっちゅう「~でうs」になるんですよ。「s」と「u」をほぼ同時に押してるんですけど、右利きであるが故に右手で押す「u」が先走ってしまうんですね。で、変換するといつも「~で鵜s」になる。おそらくブログやってる鵜飼いの人と同じくらい「鵜」って漢字を変換してるんじゃないでしょうかね。

あと「何人」。これが強敵。「何人」は「nann ninn」だから、リズムは「タトタタ・タトタタ」しょ。つまり8分音符8つの一小節です。でも「n」が続くもんだから、ついつい調子こいて、キーを叩く速度が高速化するわけですよ。

最初の「na」は「n」が右手で「a」が左手だから、ほぼ同時にいけるわけです。さっきの「~でうs」は、左手右手の順がつい逆になってしまってたけど、今回は元々右手左手だから、そりゃもうスムーズに「na」と。そうすると本来8分音符2つ分の「na」がひとつになっちゃうでしょ。で、続く「nn」は同じキーなわけだから、これまた高速でタタッと打つ。これで何が起こるかというと、「タトタタ」が3連符に変わるわけですよ。「na」とキー2つを打つせいで「タタタ」というより「タータッタ」っていうシャッフル気味の3連符。

で、やっぱ3連符は続けたくなるじゃないですか。のっちゃうじゃないですか。「タータッタ タータッタ」って。だから続く「ninn」も3連符になるんですけど、「ninn」って全部右手で打つでしょ。人差し指、中指、人差し指、人差し指って。1回目のタータッタの後半の「n」を人差し指で打ってるもんだから、2回目のターにアクセントつけるために指を変えたくなるわけですよ。つまり「i」ですね。

結果的に「ni・n・n」でタータッタとするべきとこが、「i・n・n」でタータッタになって、中間の「n」が1個減ってしまう。変換すると「南院」です。

でまぁ当然打ち直すわけですけど、打ち直す時はミスらない様にちょっとテンポを落とすんですね。でもキー構成が単純だから、またも調子こいて「凄い速い」が「普通」にならずに「速い」までしか落ちない。

それでどうなるかというと、まず「na」がひとつだったを「n・a」で2つとして処理する。でも、まだ「速い」な訳だから、そのあとの「n」は3回続けてしまうんですよ。つまり「nannn」までがセットね。

この場合のリズムは、打つ指が変わる「a」がアクセントになってるので、「タトタタタ」じゃなくて「ン・タトトト」なんです。最初の「n」はブレスで、「a」が小節の頭ですね。

で、残るは「inn」の3つなんですけど、「i」は小節内の5つ目の8分音符になるので、これだと8分音符1個少ないんですよ。だから1個追加して「ン・タトトトタトトト」にしたくなるじゃないですか。結果、変換すると「何人ん」になるんですよ。

こんだけ失敗しても「何人」を入力する機会って、そんな頻繁にはないですから、次に打つ時はまた調子こいて間違えるんですよね。たまにボーッとしてるとタタタタタタンくらい押したりしするし。

もう本当面倒くさいんで、いっそこうしたらどうかと思うんですよ。

ま、こんなキーボード、あっても買わないですけど。

卓球

卓球を科学するみたいな感じの番組をやってたんですよ。卓球選手の動体視力は凄いとか。

その中で球の回転を調べようっつって、一番回転がかかるカットのときは1秒間に137回転してるって事が判明したんですね。この1秒間に137回転ってのは、球技の中でも凄くて、飛行機のプロペラの回転数に匹敵するか、それ以上らしいんですよ。

ってことは、プロペラ機に卓球選手乗せとけば、もしエンジン止まっても卓球選手にプロペラをカットし続けてもらう事で飛んでいられるってことですね。

あと発電とかにも役立ちそうですよね。あの人口が多い中国で、国技と言われる程卓球が盛んに行われてるのは、エネルギー不足と言われる現在の状況を見越したのかもしれませんね。

日影の存在的に扱われがちな卓球ですが、実は地球を救うのは彼らかもしれません。

気が置けない

「気が置けない」という言葉は「気を使うことがない」という意味だそうだ。しばしば誤用で「油断ができない」という意味にとられることがある、ということだが、私も多分に漏れずそう思っていた。

「気が置ける」というのは「気を置く事が出来る」という意味ではなく、「気を置くつもりがないのに気を置いてしまう」という意味らしい。「気を置く」という言葉は「気を使う」という意味なので、「気が置ける」を言い換えると「気を使おうとしていなくても気を使ってしまう」となり、「気が置けない」は「気が置ける」の反対な訳だから、「気を使おうとしなくても気を使ってしまうということがない」という意味になるんだと。

ややこしいにも程がある。

そもそも「気が置ける」という言い方をする事に無理がある。「気を置いてしまう」と言った方がよっぽど分かり易い。要は「~ける」という言い方をやめて、「~してしまう」にすればいい訳だが、実はこれには弊害がある。

この場合「マイケル」は「マイテシマウ」になる。Mr.マイケル・ジャクソン!って言われたら「フーッ!」言いながら出て来れるけど、Mr.マイテシマウ・ジャクソン!って言われたら「あ……はい」みたいになってしまう。

なので、やはり気は「置けない」のである。

笠地蔵

この前テレビで武田鉄矢が、昔話の解説してたんですよ。「世界一受けたい授業」とかいう番組。視点を変えれば新しいものが見えてくる、みたいなことで、昔話の新しい解釈ってのをね、説明してたの。

笠地蔵って話あるでしょ。おじいさんが笠売りにいった帰り道で地蔵に気付いて、雪降ってるから可哀相だっつって売れなかった笠をあげて地蔵にお礼をされるという。いい行いをすれば、自分にもいい事があるよって話。

で、鉄矢は本当におじいさんがいい人だったら、町に笠を売りにいく時に地蔵に気付いて笠あげてるはずだって言うんですよ。売りにいく時は金儲けの欲があったから地蔵なんかに目がいかなかったと。言うんですよ。鉄矢が。

そうはどうだろうかと。

地蔵はね、最後に米だぁ何だぁ礼の品を渡すのに、おじいさんの家まで歩いてきてるんですよ。つまり地蔵は動けるんです。ってことは、おじいさんが笠売りにいく時はいなかった可能性があるんですよ。でしょ。

行きにいなかった地蔵が帰りに突然現れたことを、おじいさんが何故不審に思わなかったかというと、おじいさんだからですよ。悲しいくらいにおじいさんなんですよ。彼は。

じゃあ、何で地蔵はあそこいたかというと、私は昔話にありがちな狸が化けていたっていうパターンだと思うんですよ。狸がお供えを期待して地蔵に化けてたと。で、おむすびとか団子とか期待してたのに笠渡されたもんだから、テメェ何してんだってことで腹いせまぎれにドッキリで、お礼の振りして偽物の米とかを置いてったんですよ。

お礼の品が偽物であることに、じいさんとばあさんが何故気付かなかったかというと、おじいさんとおばあさんだからですよ。悲しいくらいにおじいさんとおばあさんなんですよ。それはもう。悲しいです。

シンクロナイズドスイミング

今、シンクロのワールドカップやってるでしょ。あれって技術とか昔に比べて進化はしてるんだろうけど、鼻栓だけは変わらんのは何で?

以前テレビでシンクロの特集をしてた時に、フランスのディデューは技術とかが素晴らしいだけじゃなくて、鼻栓しないから見た目の印象もいいって言ってたんですよ。それで印象よくなるんなら鼻栓改良すりゃいいじゃん。鼻の穴の中に何か突っ込んで、見た目は何もしてないように見えるのとかさ。

毎回、悲願の金メダルとか言って結局ロシアとかに負けるでしょ。日本の演技も凄いですよ。あれだけやってダメとなると、もう鼻栓しかないと思うんですよ。

とりあえず一回鼻栓変えて挑んでみましょうよ。あっさり勝てちゃうかもしれないから。

節分

節分のとき、何で豆まくか知ってます?私の記憶の中では、鬼は炒った大豆が苦手だからってことになってるんですけど、何で苦手なのかは記憶にないんですよね。何かそんな昔話ありませんでした?とにかく炒った大豆が苦手で見ただけで逃げちゃうって話。(知ってる人は、情報ちょーだい)

ま、理由は何であれ、鬼は外って言うくらいですから鬼を追い払うために豆まく事は確かなわけですよ。豆さえあれば子供でも勝てるような鬼が家にいたとこで、別に大した事ないと思いますけどね。

しかもあれ、鬼追い払うだけじゃなくて、福を呼び込もうとするでしょ。豆のみで。お前にとっての福は鳩か、と。鬼は追い払ったけど、そこら中鳩の糞だらけ。鬼にいてもらった方が、よっぽどいいですね。

それにしても、やっぱ『鬼は豆嫌い』ってのはカッコつかないでしょ。もっと納得のいく設定にしましょうよ。『鬼はドリアン嫌い』とか。これなら、なんとなく分かるでしょ。あれって、トゲだらけで強そうじゃないですか。「鬼とはいえ、ドリアンならしょうがねぇよ」ってなるじゃないですか。皆でドリアンまいてたら、いくら鬼でも寄り付かないでしょ。「まく」って言うか「投げる」ですけどね。

ほんで、投げ終わったら年の数だけドリアン食うんですよ。一歳でドリアン丸ごと一個食っちゃう民族なんて、世界中探してもいませんよ。90歳の老人は、ドリアン90個。素晴らしいですね。

ところで、そもそも「節分」って何だか分かります?辞書で調べたら、こう書いてありました。

せつぶん 【節分】
(1)季節の変わり目。立春・立夏・立秋・立冬の称。せちぶん。
(2)特に立春の前日の称。

つまり、正確には節分って年に4回あるんですよ。こういう儀式的なもんは、きっちりやらないとダメですよね。やりましょ。年4回。

両親が30歳で子供が10歳の3人家族でさえ、ドリアン消費量は年間280個ですよ。90歳の老人に至っては、一人で年間360個。もう一年中ドリアン食ってるんでしょうね。やっと食い終わったと思ったら、また節分。

しかもドリアンってのは「生ゴミのような臭い」と言われるような食いもんですからね。日本は、もう全国津々浦々臭い。鬼を追い払うという点に置いては、抜群の効果を持っていそうでしょ。ま、最終的にはあらゆる人間が寄り付かなくなると思いますけど。でもね、意外な利点もあるんですよ。こんだけ臭いと、うんこ漏らしてもバレない。

ぞうさん

ぞうさんって歌あるでしょ。

ぞうさん ぞうさん
お鼻が長いのね
そうよ 母さんも長いのよ

これって、最初のとこで象って生き物は鼻が長いんだねって言ってるわけでしょ。なのに次で、母さんも長いのよって言うのは変ですよね。最初に像全体の事を言っておいて、次は急に母親単体の話になってる。基本的に象は鼻が長いんだから、母親だって父親だって長いに決まってんだろーがって話ですよ。

これは「お鼻が長いのね」と「そうよ~」が会話になってるじゃないですか。素直に考えると、最初のとこは初めて象を見た子の感想な訳ですよ。あぁ、象は鼻が長いんだな~って。となると、母さんもながいのよ~♪の母さんは、その子の母親と考えるのが妥当なわけですよ。つまり、その子の母親の鼻が長いんです。

鼻が高い、じゃないですよ。鼻が長い。象見て思い出しちゃうような長さです。

でもね、これ子供の会話相手が母さんだったら成り立たない。もしそうなら、今更言わなくても分かってるわ!ってなりますからね。つまり、この子は自分の母親の鼻が長い事をこの時点では知らないわけですよ。母親を見た事がない。

じゃあ、誰と話してるんだってことですけど、多分育ての親でしょうね。ま、おばさんあたりじゃないでしょうか。父親って可能性もありますが「母さんも長いのよ」って言い方は、やっぱり女性だと思うんですよ。多分、この子が赤ん坊の頃に両親が他界してるんでしょうね。
それで母親の姉夫婦あたりに引き取られたと。この歌は、そんな子がおばさんと動物園に行って象を見たときの出来事なわけですよ。
切ないですね。

しかもこの子、この時まで両親の写真すら見てないわけですよ。写真がないのかもしれんけど、それでも普通はあなたの親はこんな人だったんだよってのを話すでしょ。これね、意図的に本当の親の存在を隠してるんですよ。自分たちが本当の親だと思わせてる。もの凄い事件の臭いがします。

姉夫婦は今まで必死に隠してたんです。動物園も来ないようにしてたんですよ。象見ると思い出しちゃうからね。でも、この子がどうしても行きたいって言って。

最初はダメだっていってたんですよ。でも、おばさんはおばさんで自分を試したいみたいな気持ちもあって、結局行く事にしたんです。私はもう大丈夫。あの事は忘れて、前を向いて生きていける、みたいなね。でも、子供のぞうさんお鼻が長いんだねって言葉を聞いて、つい呟いてしまったんですよね。お母さんも長いのよ、って。

何かねぇ、もう考えれば考えるほど切ないですよ。もしかしたら生きてるかもしれませんしね。実の母。生きてるけど、塀の向こうにいるとか。そんな事考えながら歌うと、ちょっと泣けてくるでしょ。はぁ~、切ない。